私の冥界くだり#1「冬至の夜に陰極まる」

人生、昇るばかりでなく、自ら降りるべき時がある。

それが更年期という世代。

降りるのは自分の心の中。

そして人生の暗部。

その中からずっと見つけたかった自分だけの本当の光をすくい上げ、人生の後半を「私は私でよかった」と納得して生きるため。

私が更年期の世代に入ってから体験したことを5回の記事に分けて綴ります。

体に起こっている現実

話の始まりは、2018年。

そのころの私は、仕事がとても順調で、売上は過去最高を記録し、起業10周年の盛大なパーティーまで開いてもらったりして、とてもうまくいっている時でした。

忙しく全国を飛び回り、本当に忙しい日々だったので、まさに人生どんどん昇っていくぞ!という感じ。

でも、実はこの頃から、密かに調子の悪さは感じていました。

生理になると出血が多くて、なかなか終わらなかったり。

そんなだから、生理の後は貧血で体がしんどい。

でも、時間が経つとある程度回復していくのと、ちょうどその頃46歳で体にも変化が訪れてくる時期でもあり、「更年期の入口ってこんな感じなのかな」くらいにしか思ってなかったんですね・・・

いや、病院行けよ!とみなさんのツッコミが聞こえてきます笑

私は元々自然療法の療法士(ホメオパス)だったこともあり、できるだけ自分で対処する癖がついていましてね。

にしても、検査には行くべきだったよな、と今は本当に思うんですよ。

その場その場の対処でなんとか保ってはいたものの、体に起こっている現実をちゃんと受け取ろうとしていなかったんですね。

そしてついに、もうどうにもならない時がやってきました。

生理の量がさらに多くなり、もうフラフラに。

周りにも促され、病院に行きました。

選択の余地無く輸血

大きな子宮筋腫ができていました。

(40歳すぎくらいまで婦人科検診で子宮筋腫ができていたことはなかったので、忙しくて検診に行ってなかった数年で一気に大きくなっていたみたいです)

血液検査をして、言われたのは

「うちのクリニックでの記録更新の最低値の貧血です。あなたを一人にするわけにはいかない。いつ気を失ってもおかしくない状態ですよ。紹介状を書きますから今すぐ救急病院で輸血を受けてきて。」

その時、のんきに自転車でクリニックまで行っていた私は、状況を把握できず

「え、じゃ自転車どうしよ・・・」

と呟いた。

「そんなの絶対乗っちゃダメ!うちで預かるから!!」と、キレ気味に先生に言われ、そのまま看護師さんにタクシー乗り場まで付き添われ、救急病院に向かったのでした。

タクシーの中では「ゆ、輸血〜!?そんなにひどかったんや・・・そりゃしんどいはずやな」と、ここまで放っておいたことを後悔しつつも、輸血することの不安より、これから良くなっていく安堵感がなぜか強くあったことを覚えています。

病院に到着し、いざ輸血。

もうどうにでもして〜という降参状態。

血が増えていくごとに、みるみる自分が元気になっていくのがわかり、「血ってすごいな・・・」と体で知りました。

本当に嘘のように体が軽くなり、それまでどれだけエネルギーが足りない状態だったのか初めて悟ったんですよね。

それが2018年12月21日、冬至の夜の出来事です。

自然界が陰極まるその日に、私の体も陰極まったのでした。

#2へ続く

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この記事を書いた人

奥 敬子
心理コンサルタント
1972年神戸生まれ。
阪神大震災で被災したことをきっかけに上京し、ソニー・ミュージックアーティスツに入社
PUFFY、氣志團、真心ブラザーズなど、数々のアーティストのコンサートグッズ企画制作を11年間担当し日本全国をツアーで回る。
多忙の中でパニック症を発症したことをきっかけにホメオパシーに出会い、劇的に改善したことから専門家を目指すことに。
日本ホメオパシーの第一人者である由井寅子氏をはじめ、イギリス、インド、フランスなどホメオパシー先進国の教師の元で学ぶ。
2008年に開業し、ホメオパス医学協会の学会では4年連続ステージで事例発表。
ホメオパスとしての実績を積みながら2014年から心理コンサルタントとしても活動。
現在は心理コンサルティングの中に性格心理学のエニアグラム、ホメオパシー、タロットリーディングを取り入れて、ボディ・マインド・スピリットのつながりを太くしていくアプローチを行ない、アーティストや起業家、会社員、主婦など、多様な人々の人生を幅広くサポートしている。

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