エニアグラムタイプ1の本質的素晴らしさ
性格から自由になるために意識的になる
インスタグラムでアップしているイラストをこちらにもシェアしつつ、イラストでは入り切らなかったことも追加で書いてみようと思います。
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ここには私がエニアグラムで学んだことを日常に落とし込みながら感じたことを書いています。
人によってはそれって違うんじゃない?って思うこともあるかもしれませんが、「こういう見方もあるのだな」という感じで受け取っていただければ幸いです!
さて、通常、エニアグラムでは性格(自我のとらわれ)の部分を重点的に見ていきます。
まずその特徴を知ることがとても役立つのですが、そのとらわれた性格から自由になるためにエニアグラムは活用されるべきものです。
ところが性格を強める方向にエニアグラムを使うこともよくありがちなので、そこは本当に意識的に、注意深くみていきたいと思うところです。
性格から自由になり、本質の自分を見つけることが何より重要です。
本質の自分は「私は在る」という存在の意識そのものです。
性格から自由になっていくほどに、その存在の持つ輝きが明確になってきますが、それはもう「その人を通して神様(大いなる存在)が表現しているもの」といえます。
その人個人のものじゃない、という意味合いです。
と、ここで大いなる存在を個人と分けてしまわないことが大切になります。
大いなる存在とは、「私は在る」という意識でもあるから。
つまり、通常の「私」と思っている私は、自我が勝手に作り込んだストーリーに巻き込まれて悩み苦しんでいるけれど、本質はそのストーリーの外側にあって、そこはもう「私」とは言い切れない世界なんですよね・・・
私を通して表現されているもの、それが本質・・・
うーん、言葉にすると筋が通らない!笑
なんとなく雰囲気で感じ取ってください。笑
私がエニアグラムに惹かれるのは、その自我を超えた本質部分を感じ取ることができるからだったんだ、と改めて思うこの頃です。
イラスト版エニアグラムタイプ1の本質的素晴らしさ
正しさというとらわれから飛び出せ!
ここからは、もう少し私が感じるタイプ1を書いてみたいと思います。
タイプ1の本質を一言で言うならば「真の自由を追求する人」という言い方もできるのではないかと思います。
本当は自分が一番自由になりたくて仕方がない人なんじゃないのかな〜と。
だけど、性格が強く働いている時は、その真逆を経験します。
自分をルールで縛り、規律を守り、道を踏み外すことを恐れて、真っ直ぐに生きようとします。
それはある意味、とても不自由な感じがしますが、同時に「こうあるべきというルールや規律を支えとして自由を感じる」という側面も感じます。
正しさは強力な軸として採用できるので、その軸さえあれば自分が揺れることがなく、それはひとつの自由でもあると思うからです。
ものごとには必ず両側面がありますね。
「こうあるべきだ」という自分の中の正しさが強くあることで、感じられる自由と不自由があります。
でもタイプ1はその自分の中の厳しさ、強い規制や抑制から飛び出し(ぶっ壊し?)、真の精神的自由を手に入れることもできるのだろうな、とも思うわけです。
それはそれは痛快でしょうね。
人間がずっとずっと長い間、感じ続けてきた「間違いは正さなければ!」「みんなが私のように正しくあるべきだ」という集合的自我意識。
個人個人が人生を通してそこに意識的になり、そのとらわれから本質に目覚めて自由になっていくことで、人間の集合意識に凝り固まったそのしこりのようなものを溶かしていく・・・
そういうことなのだと思います。
各タイプに担当分けされてるんだな〜と。笑
「正しさ」担当のタイプ1さん、あなたの正しさ、どこかのタイミングでどうぞぶっ壊してみてください。
きっととんでもない内なる平和が訪れるはずです。
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