モノクロの世界から彩りの世界へ

二極思考から虹色思考へ

コンサルをしていると、「二元性」というテーマが浮き上がってくるケースが割とあります。

二元性とは「白と黒」「正と邪」というように、一つの物事に二つの事象があることを意味しています。

二元性にフォーカスすると、「正しいか間違いか」「勝ちか負けか」など、物事を「どちらかに結論づける」という思考になりがちではないでしょうか。

それは判断基準として必要なものでもありますが、「どちらかに結論づけること」の中には苦しさもあります。

極端になってくると病的になりますが、コンサルをしていると、少なからず誰の中にもあるのではないかな?と思うんです。

私自身も余裕のない時とか、そういう思考になりがちな気がします。

よくよく考えると正しいか間違いかなんて、なにを基準とするかによって、あっという間にひっくり返ってしまうようなものですよね。

社会の常識をみんなで共有しながら、共存しているのは当然のことながら、より個人的な部分では、一人一人が違う当たり前を持って生きています。

白と黒の間はグレーなのか?

コンサルの仕事をするようになってから時々思っていたんです。

白と黒という二元性で考えた時に、真っ白な人もいないし、真っ黒な人もいないし、みんながいるのはその間のはずだと。

数年前は、「白と黒の間のグレーの自分をOKにする」というような話し方をしていたんです。

それをカフェオレに例えたりして。

ミルクとコーヒーの兼ね合いで、いろんな味になるよね、と。

しかしここ1年くらいで、表現が変わりました。

「白と黒の間はグレーだ」という発想は、「物質レベル」の話だったのです。

絵の具の白と黒を混ぜると、灰色になるじゃないですか。

それにいろんな色を全部混ぜたらドドメ色になります。

(ドドメ色って通じるのかな?w)

でも、「光」で考えてみたらどうだろう?とふと思ったのです。

光の三原色で捉えてみる

「光の三原色」って覚えていますか?

今こうしてあなたが読んでくださっているこのブログもスマホやPCの画面で見ているとするなら、光の3原色で構成されています。

赤・青・緑という3つの色の組み合わせで、いろんな色が作れるということですが、この3色を重ね合わせた時に現れるのが「白」です。

ここが絵の具と光では真逆なところ。

どの色も光っていないのが黒で、いろんな色を重ねていった時に現れるのが白。

ということは白と黒の間は赤・青・緑とその中間色も含んだ「虹色」と表現するのが私としてはしっくりきます。

人はみんな、白と黒の間にいるとしたら・・・

なんか薄いグレーか濃いグレーしかないと考えると味気がなくて、中途半端な感じがするし、モノクロの世界ってたまにはいいけどそれだけだとなんだか寂しい。

それに、ヘタすると白か黒かの二元性の世界では、グレーは存在しないも同然のような扱いになってしまうかもしれません。

もしも私たちの意識がその感覚に近いとすれば、グレーの自分を認めることはなかなか難しいのもうなずける。

「私って中途半端だなぁ」とか「何も成し遂げていない」とか、そんなセリフが浮かぶのも自然な気がするのです。

虹色の一粒一粒が個性

しかし、光の世界では感覚が変わってしまいます。

白と黒の間は虹色なのですから。

みんな白と黒、つまり光と闇の間にいる存在と考えると確かにそうじゃないですか?

その間に虹色が存在していて、光の一粒一粒が色が微妙に違っている。

好みはあれども、どの色が優れているとか、負けているとか、どうやって決めるの?という感覚になってきませんか?

この場面ではこの色が活躍するとか、そういう得意不得意はあって、それが役割であり個性だということはありますよね。

私たちの一人一人は、虹色の中の光の一粒で、その色を個性として担い、みんなで虹色を作っていると考えると、とてもしっくりきます。

もしも社会がそういう目で見るとするならば、その虹色は自分の内側にも存在することになります。

自分の中にもいろんな色の自分がいますから、確かに自分自身も虹色とも言えるような気がります。

チャクラの色も、確か虹色だったのでは・・・?(うろ覚え)

自分の中のどの色も全部好き、とは言えないかもしれない。

闇に限りなく近いドドメ色の自分だって存在しているし。笑

でも、いろんな色があって自分なんだな、と認めることはできます。

個々が輝く時代にぴったりな捉え方

この虹色の多様性は、新しい時代の雰囲気と合致します。

個々が自分の色で輝くことが、全体をよくしていく。

白でも黒でもない、どの色だとしても、それが自分らしい色であれば、もうそれでオッケー。

「正しいこともあれば、間違うこともある」「勝つこともあれば、負けることもある」という、幅を許容するような世界なのではないでしょうかね。

個々の当たり前が個性であり、その一つ一つが尊重されていくような世界へと、私たちの意識は自然に進化していくのだと思います。

自分の中の二元性を見つけることも大切

自分の中に虹色を感じるためには、二元性もとても大切なことだと思うんです。

私たちの中に「これは好きでこれは嫌い」とか、両極の要素があってこそ、その間が見出せます。

「依存と自立」とか「勝ちと負け」とか、人の中には自分がとらわれてしまっている二元性が存在しているような気がします。

(どんな二元性にとらわれているかが個性ではないかと)

「依存している自分はダメ、自立しなきゃ」とゼロか100かで考えてしまうところを、虹色の思考で考えてみたらどうでしょう?

「依存しているところもあれば、自立しているところもある」という感覚で、自分の中のいいバランスはどの配分かな?みたいな。

そう考える方がより自由で、結果的にとても自分らしいバランスが見つかるような気がします。

いや〜、この話はいつも喜ばれるので文章にしてみたのですが、こうしてブログにするとまとめるのが難しかった!

ベストは尽くしましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。

内なる多様性こそ、新しい時代の豊かさの価値観なのかもしれませんね、という締め括りで終わりたいと思います。

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この記事を書いた人

奥 敬子
心理コンサルタント
1972年神戸生まれ。
阪神大震災で被災したことをきっかけに上京し、ソニー・ミュージックアーティスツに入社
PUFFY、氣志團、真心ブラザーズなど、数々のアーティストのコンサートグッズ企画制作を11年間担当し日本全国をツアーで回る。
多忙の中でパニック症を発症したことをきっかけにホメオパシーに出会い、劇的に改善したことから専門家を目指すことに。
日本ホメオパシーの第一人者である由井寅子氏をはじめ、イギリス、インド、フランスなどホメオパシー先進国の教師の元で学ぶ。
2008年に開業し、ホメオパス医学協会の学会では4年連続ステージで事例発表。
ホメオパスとしての実績を積みながら2014年から心理コンサルタントとしても活動。
現在は心理コンサルティングの中に性格心理学のエニアグラム、ホメオパシー、タロットリーディングを取り入れて、ボディ・マインド・スピリットのつながりを太くしていくアプローチを行ない、アーティストや起業家、会社員、主婦など、多様な人々の人生を幅広くサポートしている。

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