コントロールの深い意味
継続セッションを終えられたクライアントさんのケースをまとめていたら、シェアしたいテーマが出てきました。
そのクライアントさんは元々「きついコントロールを手放したい」という意図を持ってセッションにお申込みいただき、そこから素晴らしい経過を辿って、ご自分やご家族への信頼をどんどん取り戻されていったのでした。
制御と自由はセット
最初のセッションでわかったのは、「制御と自由」という強いコントラスト。
私は言葉の意味を辞書で調べて、意味を深く落とし込むのが結構好きなんです。
ということで今回も調べました。
「制御」とは、「相手を押さえて自分の思うように動かすこと」。
「コントロール」は、「ちょうどよいぐあいに調節・統制すること。管理。」。
似たような言葉ですが、調べてみるとだいぶ意味合いが違いますね。
そして「自由」の意味を調べると、「自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。」でした。
制御の意味に「相手を押さえて」とありますが、ここを「自分」に置き換えると、制御と自由のコントラストがくっきり出てきます。
制御は「自分を押さえて、自分の思うように動かすこと。」
もう少し詳しく考えると、自分の本音を押さえて、自分の「こうあるべき」という方向に自分を動かすことが「自分を制御する」と言えるかと思います。
自由は「自分の意のままに振る舞うことができること。」をもう少し詳しく考えると「自分の本音のままに振る舞うことができること。」となりますかね。
制御と自由、どちらかだけでは成立しない
さて、ここで考えていただきたいのです。
制御と自由、どちらか片方だけでは人間として成り立たないと思いませんか?
両方あるのが人間てもんじゃないのかしら?と私は思います。
人と和を成すために時には自分を制御することもあるでしょう。
または、何か大きな自分の目標のために自分に制御を与えることだってあります。
一方、自分の自由も大切にしなければ、自分が本当にどうしたいのかがわからなくなってしまう。
自由である時、人は快適に感じるし、自分を表現できます。
しかし、ず~っと自由が続くとどうなってしまうのだろう?
自由であることの素晴らしさって、感じられなくなってしまうのではないかなと思うのです。
制御があるから、自由が活きるのではないかと。
本来のコントロールとは?
ということは、結局「バランス」なのです。
制御と自由のバランス。
それが本来の「コントロール」なのではないでしょうか?
繰り返しますが、コントロールの意味は、
「ちょうどよいぐあいに調節・統制すること。管理。」なのです。
「制御と自由」をちょうどよいぐあいに調節、統制することって、成長のプロセスの1つではないですか。
最初は子供だから親から制御されたり自由を与えられたりして育ち、だんだん自分でそのバランスを取るようになりますよね。
成長すればするほど、いい塩梅に調整ができるようになるはず。
すると、より自由を感じる度合いが増えていくのかな。
大人になればなるほど、自由が増えますからね。
そして自由とセットであるものと言ったら「責任」です。
自由な人はいろんな形で同時に責任も持っている。
「自分に対する責任」です。
しかし、自分の責任を放棄する場合、自由は少なくなり、他から制御されることになります。
制御とコントロールは似て非なるもの
最終的に思うのは、「コントロールを制御と勘違いしている方」も多いのかもしれないなということ。
コントロールがきついと感じている方は、「制御」を減らし、「自由」を自分に与えて、「バランスを変える」というのがいいのではないかと。
ゆるすぎる場合は逆なのかもしれませんね。
いつも記事を書きながら頭を整理してすっきりするのですが、今回もうまく着地しました(笑)
コントロールは決していけないものではなく、成長プロセスの一部であるということでした。
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